能登半島地震から2年。今こそ「生業の再建」に命をつなぐ支援を
2024年元日の発災から、2年が経過しました。 元日に掲載されたしんぶん赤旗記事には、石川県輪島市で今なお続く厳しい現実が綴られています。住宅被害は1万棟を超え、かつての賑わいを見せた「朝市通り」の跡地には雑草が生い茂る。この2年、被災された方々が歩んできた道のりの険しさに、改めて胸が締め付けられる思いです。
現場で見た光景を忘れない
私自身、一昨年前(2024年)の4月、震災から数ヶ月が経過した能登半島の支援現場に駆けつけました。 そこで目にしたのは、変わり果てた街並みと、それでも懸命に前を向こうとする人々の姿でした。住み慣れた家や地域コミュニティを失うことが、どれほど心身に深い傷を負っているか、痛いほど伝わってきました。


当時、避難所や仮設住宅でお話を伺った際の「いつになったら元通りの商売ができるのか」「子供たちにこの地を残せるのか」という切実な声は、今も私の耳から離れません。

「資金の壁」が再建を阻んでいる
記事では、輪島市のサービスエリアで店長を務める橋爪さんの苦悩が紹介されています。5月の営業再開を目指す一方で、大きな壁となっているのが「資金」です。 国の雇用調整助成金が昨年末で終了し、再開までの数ヶ月間の人件費や、数百万円にのぼる備品購入費を、借金で賄わなければならないという現実。これは橋爪さん一人の問題ではなく、被災地全体の「生業(なりわい)の再生」を阻む構造的な課題です。
日本共産党は一貫して、被災者の生活と生業の再建に対し、国が直接的な公的支援を抜本的に強めるよう求めてきました。「自己責任」や「借金」に頼る再建には限界があります。特に、能登のような伝統文化や地域コミュニティが深く根付いた場所では、商売の再開こそが地域の灯火となります。

千葉市から、被災地と手を取り合って
現在、私は千葉市議会議員として1期目を務めていますが、能登の教訓は決して他人事ではありません。ここ千葉市においても、いつ大規模災害が起きるかわからない。被災地の「今」の苦しみを取り除くことは、未来の私たちの街を守ることにも繋がります。
記事の中で橋爪さんは、「これからは被災地の復興を応援する役割も担いたい」と前を向いています。その強い意志を、政治が、そして社会が孤独にしてはなりません。
私はこれからも、現場で培った「一人ひとりに寄り添う」精神を胸に、党の仲間とともに、被災者生活再建支援法のさらなる拡充や、中小事業者への直接支援を訴え続けていきます。そして、千葉市の防災・減災対策にも、能登の教訓を全力で反映させていく決意です。
2年という月日は、決して「過去」ではありません。一人ひとりが安心して元の場所で暮らせるその日まで、私たちは寄り添い続けます。